よく通った新宿の中華居酒屋「石の家」
最初のうちは、とにかく後藤さんに気に入ってもらいたくて一生懸命に働いた。
その甲斐あって常連さんたちとの夕食に誘ってもらったんだよね。
行くのはだいたい石の家(いしのや)っていう中華料理屋。
新宿南口の方にあるんだけど、スポランからは歩いて3分くらい。
調子のいい店員の兄ちゃんと、明るくてかわいらしい梅ちゃんっていうおばあちゃんが印象的だった。
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後藤さん一行は常連だったから、店に入ってすぐ左にある唯一の個室に通されることが多かった。
石の家で後藤さんが必ず注文したのが豚足で、初めて食べるおいらはビビりながら手を伸ばしたのを覚えている。
初めてご一緒したときは緊張したけど、ビール飲みながら仲間とビリヤードの話をするのは楽しかった。
ほろ酔い気分になるとスポランに戻り、ちょっとだけみんなで球を撞いた。
「ナベ、お前球撞くの?」
って聞かれて「ちょっとだけ」と答えた。
球を撞かないアルバイトも大勢いたからね。
後藤さんの前で球を撞くのはこれが最初だったから恐る恐るだったけど、
「なんだ、けっこう撞くじゃねぇの」
なんて言われて照れくさかった。
こんな調子でようやく後藤さんに存在を認識してもらったよ。
スポランには後藤さんを訪ねてあっちこっちからビリヤード関係者がやって来た。
渋谷のキューや高田馬場の山水をはじめ、東京中のビリヤード場からもやって来るし、北は仙台や山形から南は沖縄まで、プロもアマもしょっちゅうやって来ていた。
印象に残っているのは、後藤さんの親友でもある内野さん。
渋谷のキューはもちろん、全国を渡り歩いたっていう風変わりな、ハスラーを地で行くような人。
あとは、年に1回やって来る神戸の14-1研究会の原さん、ラッキーの異名で知られる仙台の菱沼さんと、若い頃は一緒にブイブイ言わせていたという山形の阿部さん。
それから、関西の松岡プロも親友のひとりで、当時頭角を現していた利川プロと一緒に遊びに来たこともある。
それ以外にも、渋谷のキューに入り浸っていたアカバ、ロサリオ、クルーズといったフィリピンの連中や、世界に羽ばたく前の高橋プロも遊びに来た。
とにかく毎日誰かしら有名どころがやって来るので刺激的で、おいらはますますビリヤードに夢中になっていった。
もっとも、一番の刺激は、そんな連中を片っ端から負かしてしまう後藤さんだったんだけど。
ただ、奥村プロがやって来たときだけは様子が違っていた。
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忘れもしない、おいらがレジのカウンターに入っていたとき、入り口の自動ドアが開いて見たような顔が入ってきた。
それが奥村さん。
で、驚いたおいらは、店の中ほどにいた後藤さんを「後藤さん!!」って大声で呼んだんだよね。
すると振り向いた後藤さんはすぐに奥村さんに気づいて、
「おお! 奥村! やろうやろう!」
って。
手ぶらだからって遠慮している奥村さんに、常連のために仕入れたばかりのショーンを引っ張りだして見せ、
「これ、使ってみろよ」
って、かなり強引に誘いをかけていたっけ。
若いころタッドを使う奥村プロ
苦笑いしながらも観念した奥村さんを連れて、後藤さんはレジから数えて4番目のテーブルに行った。
そこが一番広くて周囲を気にせずに球が撞けるからだと思う。
おいらはレジから離れるわけにもいかず、背伸びをするようにして観戦した。
入ったり出て行ったりする客を捌きながら。
おいらが目を向けると、決まって奥村さんが撞いていて、それを腕を組んで立ったままの後藤さんが、鬼のような顔で見つめていた。
劣勢だというのは明らかだった。
結果は7-3だったと思う。後藤さんは珍しく途方に暮れたような表情だった。
若いころ、後藤さんや当時の大御所が奥村さんを「かわいがった」のは有名な話だし、日頃からなにかと「奥村は上手い」って言うのを聞いていた。
ダントツで1位だったプロに向かってアマチュアが「上手い」なんて言うのも不思議な話だけどね。
後藤さんは常連をからかうときに「上手いねぇ」なんて言ったもんだけど、そんなときは絶対に薄ら笑いを浮かべていた。
でも本気で「上手い」と言うときは真顔なんだよね。
そのさらに上をいく場合は「スゴイ」っていう表現をするんだけど、おいらが知る限りスゴイと言われたのは、伝説のプロだった角当さんとレイズだけだったと思う。
角当プロ 出典:ビリヤードマガジン1991年7月号
角当さんってのは、後藤さんが腕を磨いたという後楽園ビリヤードのプロ。
現役当時の映像が見つかってDVD化の話があったそうだけど、立ち消えになったみたいね。
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