後藤章二師の思い出

後藤章二師のことを思い出すままに書いてみようと思う Vol.9

 

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ジョエル・ハーセック
どんなキューかは知らないけど、綺麗なキューを作るね♪

 

 

おいらが23、4歳のころだったと思う。

 

社会人になって、ちょっとだけお金もできて、球撞きの腕前にも妙な自信が芽生えてきたころ・・・。

 

ローンを組んでポール・モッティを買ったんだよ。

 

バリバリにザンボッティのデザインを模したやつね。

 

あとで聞いたら、ちゃんとガス・ザンボッティから許可をもらってたんだって。

 

 
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おいらはそれまで、メウチのデビット・ハワードモデルを使っていたんだけど、これがオリジナルとは思えないくらい怪しいキューだった。

 

アルバイト時代にアルファインターナショナルで買ったんだけど、おそらく中国製だったんじゃないかな。5万くらいしたけどね。

 

で、そろそろちゃんとしたカスタムキューが欲しいなって思っていたころ、営業の外回り中に見かけた、ジャフェックスって店に立ち寄ったんだよ。

 

東京銀座の昭和通り沿いにあるビルの中にあったんだけど、偶然、ビリヤード関連のポスターなんかを見つけちゃって、ちょっとした気まぐれで。

 

経営者のYさんと、初対面なのにビリヤードの話で盛り上がった。

 

後藤さんのこともちょっとだけ知っているって言ってた。

 

そこで、当時はまだ日本ではメジャーとは言えなかった、ポール・モッティを見せてもらったんだよね。

 

入荷したばかりの1本だって。

 

振ってみるとバランスが前っぽくて、好みだった。

 

デザインもシンプルながら、当時のおいらが好きだったオーソドックスなもの。

 

ぱっと見はザンボだけどね。

 

1バット、2シャフト、ステンレスジョイントで、先角は象牙。

 

4枚ベニアの4剣ハギで、ほどほどのバーズアイがキレイだった。

 

値段を聞いてみたら、ほんとは25万で売るつもりだったけど、後藤さんの知り合いなら20万でいいって・・・。

 

そんなのウソかホントか分からないけど、買うことにしてローンを組んだ。

 

このモッティ君が、おいらの全盛期をともに歩むパートナーになった。

 

 

後日、おいらはモッティ君とともにスポランに行った。

 

2番か3番テーブルの上に、真新しいバットと2本のシャフトを横たえて、どっちのシャフトから試そうかと、木目なんかを観察していた。

 

すると突然、

「なんだ、ナベ、キュー買ったのか!?」

っていう後藤さんの声。

 

バカ野郎、俺に一言相談すればいいのに、なんて言いながら、

「ちょっと見せろ」

って言って強引に手に取ると、2本のシャフトを代わる代わる試し撞き。

 

チョンチョン、パコーン、チョンチョン、パコーン・・・

 

いつもの軽快なリズム。

 

モッティ君に命があったなら、あまりのことにビックリしたんじゃないかな。

 

いきなりのハードショットの連続だし・・・。

 

目を白黒させるモッティ君を妄想しながら、苦笑いするおいらに、

「こっちのシャフトがいいな、こっちにしろ」

って言いながら、差し出す後藤さん。

 

「いいキューだ」

なんて言いながら偉そうに去っていく・・・。

 

おいらのキューを、おいらより先に撞いちゃって・・・なんだかなぁ。

たぶん、自分に相談して欲しかったんだろうな(苦笑)。

 

そう思いながらも、後藤さんにお墨付きをもらって嬉しかった。

 

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おいらはこのキューで常連会を3回も制したし、ジャパンオープンやら長太郎カップなんかにも出場した。

 

ハウストーナメントでは、国立にあった「ミスターポケット」の長谷川名人にも勝った。

 

とにかく絶好調のころで、後藤さんの後押しでTPA加入も秒読みだった。

 

でも、ちょっとした諍いが発端で、おいらは後藤さんから距離を置き、モッティ君も売っ払ってしまった。

 

後藤さんと話をすることもなくなってしまった。

 

それでもビリヤードは好きだったから、夜の常連は続けた。

 

ただ、キューなんかなんでもいい、球は入るしなんでもできるって思い、常連仲間から台湾キューを5,000円で譲ってもらって使っていた。

 

これが意外に、ビックリするほどいいキューだったんだけどね。

 

何本か撞いたことのあるガス・ザンボッティの感触にそっくりで、反応もキレも申し分なかった。

 

試合にも出ず、常連会からも遠ざかったころだったけど、球の熟成度から言えば、この台湾キューを使っていたころがピークだったね。

 

セットマッチでも59でも、負ける気がしなかったし、たまに訪ねて来る地方のプレイヤーに対しても、

「いらっしゃいませ」

って感じだった。

 

後藤さん中心の夜の常連仲間から離れて、おいら達なりの仲間は何人もいたんだけど、だんだんスポランから遠ざかっていった。

 

そんなころ、後藤さんの訃報を聞いて、悩んだ挙句に葬儀に出向いた。

 

その後も少しの間、スポランはあったんだけど、ある日久々に訪れた花台には、見たことも聞いたこともないやつが、スポランのエースを気取って陣取っていた。

 

今さら、そんなやつの球に興味はなかったけど、どうってことないのに、格好つけている雰囲気が嫌だったね。

 

さて、そんなことはともかく、おいらはもう1回でいいから、後藤さんの球を間近に見てみたい。

 

あれほど刺激的な球は、今のところお目にかかっていないからね。

 

 

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コメント

    • 松本
    • 2018年 1月 16日

    2chの球作スレで後藤さんのことを知りたどり着きました、すごい方だったのですね〜
    動画が残っていれば見てみたかったです

      • nabe
      • 2018年 1月 16日

      松本さん、コメントありがとうございます!

      後藤さんは言ってみれば“バケモノ”でした(笑)。
      おかげで誰のどんな球を見ても驚くことがありません・・・。

      当時、スポーツランドの常連仲間が後藤さんをビデオで撮影していた記憶があるんです。
      彼に会えたら確認したいんですけどね・・・。
      私もまた、あの魔法使いのような球撞きをじっくり見てみたいものです。
      ちなみに、球作スレは私も読みましたが、未だに誰だか分かりません(苦笑)。

    • 松本
    • 2018年 1月 16日

    そこはよいでしょう笑
    どの、スポーツ競技もそうかもしれませんが、個性的なプライヤーはいなくなりましたね。みんな同じ感じで、ミスした方が負け、みたいな

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