おいらが毎日のように球を撞いていたのは30代半ばくらいまでの話・・・。
もっぱら、拠点のスポラン(新宿スポーツランド中央口店)や北新宿のロサンゼルスクラブ、そして晩年は歌舞伎町のACB(アシベ)って感じでした。
学生時代はスポランのアルバイトで一晩中、社会人になってからは外回り営業をさぼって昼間からスポラン・・・。
全体の9割ほどはスポランで楽しんでいましたね。
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当時主流だったゲームはやっぱりジャストナイン・・・。
後藤章二師にかわいがられていた頃は、仕事終わりに毎晩通って、けっこう真剣に取り組んでいました。
でも、どういうわけか関係がこじれちゃって、それからは主に昼間の常連として通うようになりました。
セットマッチをするでもなく、居合わせた常連仲間と乱取りです。
たまに大勢集まれば「59」もやったけど、たいていは気楽に遊んだものです。
ヽ(´ー`)ノ
やがてスポランが閉店となり、おいらは一時期、球撞きから遠ざかりました。
でも、30代終わりくらいから「球の虫」が疼き始め、週末はほぼアシベで過ごすようになりました。
自動販売機のビールが空になるまで飲んで、酔っぱらいながらのアホな球撞きです。
酔うとギアが無敵モードに入って調子が上がるもんだから、おいらは「酔拳」などと言ってふざけていました・・・。
店からすれば、高いビールをがぶがぶ飲んでくれる良い客だったと思いますがね。
( ̄▽ ̄;).。oO
で、そのころから周囲は自分よりはるかに若い人ばかり・・・。
なんとなく敬遠されているなぁ~ってな雰囲気の中、一緒に遊んでくれるのはやっぱりスポラン時代の仲間なのでありましたよ。
長年一緒に遊んだ常連仲間が大勢集まる昔のスポランを、ついつい懐かしく思い出しちゃうのであります・・・。
さてさて、いろいろな事情が重なって故郷の沼津に帰還したのが2013年正月。
頭をよぎるのは球のことばかり・・・。
まずは球屋を見つけなくちゃってことで、ネット上を検索しまくり、ようやく落ち着いたのが沼津の「イ・ヴェール」と富士の「コパン」だったんですよ。
常連さんはみんな若いし、おいらのような新参者のオヤジはなかなか相手にされません・・・。
「イ・ヴェール」の人たちはけっこうかまってくれたけど、「コパン」の常連さんはちょっと手ごわかったです。
店員さんは皆気さくで溶け込みやすい人柄の方々なんですけどね・・・。
ヾ(´∀`*)ノ
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で、それはさておき、おいらが戸惑ってしまったことがあります。
まずはラックシート。
三角形の枠は使わないんですな!
テーブルのコンディションによってまともなラックが組めないケースが多いから、誰かさんのアイデアで開発されたんでしょうね。
いやぁ~、あれに慣れるまでけっこう時間がかかりましたよ。
緊張すると手がプルプルしちゃって、相手に思いっきりバレるしね・・・。
そしてもっと戸惑ったのが「セルフラック」。
ゲームを獲ったら相手にラックさせる、という優越感に浸り続けてきたおいらです。
これにはホント驚いちゃいました。
ラックにも勝負の駆け引きが潜んでいたと思うんですが、自分で組めちゃうってのは、なんか面白味がないなぁ~って・・・。
マスワリ連発されたら、ずぅ~っと座りっ放しだしね。
あとはナインボールの際のボールの並べ方・・・。
2番ボールをいちばん下に配置するってヤツですね。
これはなんとなく納得ですが、知らずに適当に並べたら注意されちゃって、ちょっと恥ずかしかったです・・・。
(ヾ; ̄▽ ̄)ヾハ、ハズイ・・・
あ、恥ずかしいと言えば、ブレイクエースもそうですわ!
何ですか、フットスポット側のコーナーにナインボールが入ってもエースとは認められないんですって?
セットマッチの際にとっととボールを片付けちゃって怒られたんですけど・・・。
いやぁ~、こういうのを「浦島太郎状態」って言うんですかね?
ちょっと離れているうちにあれこれルールが変わっちゃって・・・。
以前、ブレイクノーインの後のフリーボールが完全フリーになった際にも驚いちゃいましたが、少しずつ合理的なルールに変更されつつ、単純化もされちゃっている印象です。
「ブレイク後のフリーボールはツーポイント内から」っていう昔のルール、おいらは好きだったんですけどねぇ~・・・。
ちなみにゲームやるなら、今は「10ボール」の方が好っきぃ~♪
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