2018年10月30日、Facebookグループ『SPOLAN LEGENDS(スポラン・レジェンズ)』を立ち上げました。
新宿スポーツランドビリヤードと後藤章二師に何かしら絡みのあった皆さんにご参加頂いております!
プロ、アマ問わず、もっともっと多くの仲間にお集まり願いたいので、あらためてこの場でご紹介致します♪
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『SPOLAN LEGENDS(スポラン・レジェンズ)』とは・・・?
『SPOLAN LEGENDS』創立というムーヴメントのきっかけは、東京池袋にあるビリヤード&ダーツ・バー『Unison』のオーナーKさんによる、Facebookへの投稿でした。
この熱い文面はすぐに拡散され、友人のシェアを通じておいらの知るところとなったのです。
そこから友達リクエストの輪が広がり、スポラン時代の先輩Uさんの提案によってFacebookグループという形のコミュニティを立ち上げるに至りました。
『SPOLAN LEGENDS』という名はおいらが勝手に付けたものです。Uさんから脅され半ば強制的に作業を急いだ結果です(笑)。
そして、知り得る限りの所縁の方々を片っ端からご招待申し上げ、プロ、アマ問わずジワジワと仲間を増やしつつある状況です。
ご参加頂ける方は随時募集しておりますので、年齢、性別、国籍等々関係なく、気軽に参加リクエストを頂戴できれば幸いであります。
既存メンバーの皆様も、どうぞ所縁の方々をご紹介下さいね!
今後は、何かしらのイベントを企画して、当時の思い出話やら、「後藤さんならこの球どう取る?」といった激論&球撞き大会などで盛り上がって行きたいと考えていますよ♪
参加リクエストは、↓こちらからどうぞ♪
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後藤章二師とは?『新宿スポーツランドビリヤード』とは?
後藤章二師とは、当時知らない人はいないほどのビリヤードの名人。2002年4月22日急逝。享年54・・・。
1975年に内閣総理大臣杯(全日本アマチュアポケットビリヤード選手権大会)で優勝すると、その後のブランズウィック・オープンでは国内外の強豪をねじ伏せてチャンピオンとなりました。
おいらの記憶が確かならば、当時全盛期の“キングジェームズ”ことジム・レンピ選手や、フィリピンの英雄ホセ・パリカ選手なども寄せ付けなかったとか・・・。
事実、かのエフレン・レイズ選手をはじめ、多くの強豪を退けてきた様子をこの目で見てきております。
いずれにせよ、プロ、アマ問わず時の名プレイヤーの多くが手合わせし、「新宿に後藤あり」と言わしめた天才プレイヤーです。
後藤師を知る人の多くが、そのプレイを収めた動画を求めていますが、今のところ見つかっていません。
ある程度まとまった尺で後藤さんの動画を持っている方がおられたら、それって有料級のお宝かも知れませんよ♪
さて、生涯アマチュアを通しながらも幾多の伝説を残し、未だに多くの人の口から語られる逸話の数々・・・。そして、斯く言うおいらも、後藤師の元で修行に励んだ1人なのでした。
連日のように全国津々浦々から名プレイヤーが訪れ、それはもう刺激的な日々でした。
その場所というのが、後藤師がインストラクターを務めていた新宿スポーツランドビリヤード(通称:スポラン)だったのです。
スポランは新宿の三平グループが運営する店舗で、アルタ裏に位置する本館、靖国通り沿いにあるニューサンパーク、そして中央口店がありました。
おいらがアルバイトをしていた当時は、本館の4階と5階、ニューサンパークの7階、中央口店の3階とB1、B2階がビリヤード場でした。
後藤師が勤務していたのは中央口店のB1階でしたが、そのうち、客足の減りとともにフロアが減ってB2階がメインとなり、受付カウンターや華台も移動されました。
当時は基本24時間営業で、アルバイトは早番、中番、遅番のサイクルとなっており、遅番の時間帯は、何時からだったか忘れたけど、仕事に入っている人も含めて一晩中球が撞けます。
なので、中番だったおいらも、しょっちゅう夜中まで居残って練習したものです。
そして大学を卒業して社会人になるとともに常連客に・・・。
そこからいよいよ後藤さんとの繋がりが深くなり、そしていつしか関係がギクシャクするに至るのですが、それはまた別のお話。
今となっては全てが懐かしく、古今東西、プロもアマも含め、後藤さん以上に驚かされる球を見たことは、一度もありません。
最初に目指した目標はあまりにも大きく、球を撞くたびに身の程を思い知るばかりであります。
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