後藤さんがガス・ザンボッティを手に入れたとき、初めてスポランに持ってきた日のことを思い出す。
デザインとしては、ザンボッティらしく、素晴らしいとしか言いようがない一振りだった。
ただし、長くて重い。
長さは通常のキューより10センチくらい長く、重さは22オンスくらいあったと思う。
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通常のキューを等倍した感じで、バットもシャフトも長く、グリップも太い。
ハギは4剣のオーソドックスなタイプで、中央の黒檀から、ナチュラル、ダークグリーン、ブラウン、ブラックの4枚ベニアだったと記憶している。
インレイには象牙が使われ、ザンボッティらしい形状のものだった。
購入価格は100万だったか200万だったか、とにかく奮発して買ったようだ。
後藤さんは身長こそ小柄だが、腕っぷしが強いから使いこなせるだろうって話だった。
アメリカ人の誰かが特注で作らせた一本だそうで、そうとうデカい人だったんだろうねって言っていた。
誰からどういうルートで買ったのかは知らないけど…。
でも、このキューに換えてからというもの、後藤さんはミスショットを連発するようになった。
ヒネリを当たり前のように使う後藤さんにとって、見越しの違いというのが難問だったようだ。
いつもイライラした様子だった後藤さんが、数日後に晴れやかな顔でスポランにやって来た。
どうやら渋谷のキューで、あれこれ情報を集めていたみたい。
「ナベ、このキューよ、見越しがないんだってよ!」
そう言いながら撞いてみせる後藤さんは、どうやらバケモノに戻ってしまったようだった。
でも、このザンボッティを撞かしてもらったおいらの感想としては、決して見越しがないなんて言えるものじゃなかったはず。
そりゃ、以前のリチャード・ブラックに比べれば圧倒的に見越しが少ないだろうけど・・・。
確かに、すごく撞きやすいし、見事なキューだったけどね。
誰からどんなアドバイスを受けたのか知らないけど、なんか後藤さんの勘にはピタッと来るものがあったようで。
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しかし、ザンボッティに換えてから、以前のようなアグレッシブなプレイが見られなくなったように思った。
何と言うか、無理して使ってんじゃないのかなって印象。
気のせいか、球の質も一般的なこぢんまりした感じになってしまったし、球を撞く後藤さん本人の様子にも余裕がないように感じられた。
おそらく、いや、明らかに合っていなかったんだと思う。
後藤さんがザンボッティにこだわった理由も分からないではない。
なんでも、聞くところによると、奥村さんが使っていた8剣のザンボッティは、当初、後藤さんが買うつもりだったんだそうだから。
何がどういう流れで奥村さんに渡ったのかは知らないが、ずいぶん悔しかったみたい。
でも、おいらが知っている限りでは、アラモを使っていたころがスゴかった。
アラモのキュー尻のデザインを指さしながら、
「おれよ、こういうウィンドウ型のデザインが好きなんだよ」
って言っていた後藤さんを思い出す。
あのリチャード・ブラックはどこいったのかな・・・?
ザンボッティは、M野プロが一旦は譲り受けたみたい。葬儀の時に見覚えのあるキューケースを持っていたから間違いないと思う。
どうやら、生前からそういう約束になっていたって話らしい。
でも、後にご遺族に返却したとも聞いた。事実関係はおいらには分からない。
おいらは知らなかったんだけど、M野プロは後藤さんに弟子入りしていたんだそうな・・・。
ちなみに、今でもおいらや当時のスポラン仲間は、棺の中にザンボッティも入れてあげるべきだったと思っているんだけどさ。
つづく
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