ネイティブアメリカンの妖精ココペリが好き♪
当時(今も?)、東京でビリヤードのメッカと言えば渋谷のCueだったんだけど、後藤さんも当然ながらCueの常連だった。
広い店内の一角、カウンター前のひときわ目立つ花台では59三昧だった。
そんな状況もあって、新宿スポーツランドには後藤さんを訪ねてCueの常連が流れてくることが多かった。
その中に、H田さんという恰幅のいい50代の紳士がいた。
いつも白い開襟シャツに黒いスラックス、腕には金無垢のロレックスといういでたちで、一見、その筋のお偉いさんのような風貌。
なるほど、聞いてみれば、いわゆる高利貸しを営んでいるそうで、それなりの世界の住人だったようだ。
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H田さんが初めてスポランにやって来たときのことが忘れられない。
後藤さんがおいらのところに来て、
「おれよぉ、ああいう人に出入りしてほしくねぇんだよなぁ・・・」
ってぼやいていたっけ。
そんなことつゆ知らず、H田さんは親しげに、
「後藤ちゃん、後藤ちゃん」
って、渋い声で話しかけていた。
とにかく、ヤバい人だと先入観を植え付けられたおいらは、できるだけH田さんから距離を置くようにしていた。
ところが、そんなある日・・・
おいらがカウンター前の1番テーブル(スポランの花台)で練習していたときのこと。
待ち客用の椅子に座っておいらの球を眺めていたH田さんが、
「後藤ちゃん、おれ、この人とやってみてぇ!」
って言いながらおいらを指さした。
(ヤバい・・・)
そう思いながら後藤さんと目を合わせると、ちょっと困惑のご様子。
そこでおいら、咄嗟に、
「今日はもうお金がなくって、上がるところなんですけど・・・」
なんて言い訳した。
するとH田さん、
「場代ならおれが出してやるから、ちょっと相手してよ」
ってな、屁とも思わないような返し。
困ったおいらが後藤さんに目を向けると、仕方なさそうな表情で顎をクイクイさせて、
「相手してやれ」
の合図をした。
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見るからに金持ちって雰囲気のH田さんだけど、取り出したキューは5万円くらいのストレートのマクダーモット。
ナインボールを何セットかお相手したように記憶してるんだけど、H田さんの球は意外に丁寧なスタイルで、腕前もかなりのレベルだった。
球を撞くのは久しぶりだって話で、狙いはあまり定まっていなかったけど、ストロークや撞点を見ていればキャリアはわかるからね。
それに、すごく紳士的で、言葉使いもさっきまでとは打って変わって丁寧だったし、おいらは妙に好感を持ったのを覚えている。
その後、H田さんは毎晩のようにスポランに来るようになって、徐々に常連仲間に溶け込んでいった。
後藤さんも当初の固定観念がなくなって、すっかりH田さんと意気投合するようになっていた。
「よう、なべ、人間ってのは付き合ってみないとわかんねぇもんだな」
なんて言ってね。
ちなみに球の調子を取り戻していったH田さんは、後のジャパン・オープンでベスト16という成績を残してビリヤードマガジンに写真が載ったよ。
それにしても、おいらも後藤さんも、いろんな意味でH田さんにはお世話になった。
当時、心臓が悪くて手術をしたりしたけど、今でもご健在でしょうか・・・?
つづく
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