【後藤章二(ごとうしょうじ)】とは?ビリヤード用語の意味や用途を解説
後藤章二(ごとうしょうじ)
伝説のSA級プレイヤー
伝説のプレイヤー角当(かくとう)氏の弟子
ナベ(管理人)の師匠
世界一球撞きが上手いお米屋さん
愛称「ゴトッチ」
享年54歳
ごく親しい人からは「ゴトッチ」と呼ばれた。
後に「大将」などと呼ばれたとされるが、判然としない。
全盛期には「新宿に後藤あり」と称された。
1975年「全日本アマチュアポケットビリヤード選手権大会(内閣総理大臣杯)」優勝。
「ブランズウィック・オープン」優勝(開催年、不明)。
この際には、アメリカ代表の名プレーヤーであるジム・レンピ選手、フィリピンの英雄ホセ・パリカ選手を下し、さらに敗者戦から勝ち残って来た同選手を再び下しての栄冠だったとされる。
出典:ビリヤードマガジン
その後、鮎釣りにハマり7年ほどのブランクがあるも、「ハスラー2」のブームに後押しされる形で復帰。
いきなり、ますわり2連発が出たことで現役を自覚。
「生涯アマチュア」にこだわり、時のトッププロも手玉に取る(球撞きだけにwww)。
当時、おおよそ手合わせしたことのないプロはいない、というほどのキャリアと知名度を誇る。
かの奥村健プロも若い頃は“カモ”だったそうな・・・。
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歴代の使用キューは、アダム、タッド、リチャード・ブラック、ガス・ザンボッティで、タッド時代が全盛期だったと言われる。
プレースタイルは豪快かつ繊細で、一定のリズムで淡々と撞き切る。
小刻みに2回「ちょんちょん」と狙いを定め、スゥ~っとテイクバックしてパコーン・・・。
テイクバックの際にグリップの中指、薬指、小指を開くクセがあり、本人は「見っともない」と気にしていた。
ひねりを多用し、手球を生き物のように操る様は、伝統工芸の熟練職人を見るのにも等しかった。
キュー切れは異常なくらいのレベルで、キャロム選手にも匹敵するほど。
サイドポケットをまたいだ押し抜きのダブルクッションは冗談のようだった。
ジャンプキューなどない時代に、プレイキューでジャンプやカーブ、さらにはマッセを操るシーンも。
その持ち味は、常軌を逸した“出し”であり、1日何百キロと米をかついで鍛えられたパワフルなショットでもあった(腕相撲がすごく強かった)。
的球は自ら進んでポケットに向かい、手球も自らの意志でポジショニングするかのような、見ていてなんとも不思議な球質だった。
ナベは無謀にも5-9を10マスだけ挑み、ますわり9連発の前にあっけなく撃沈された。
ある日、「14-1をやろう」と言われて嬉しかったが、1時間以上も出番がなかった。
「パーフェクトを見せてやる」と宣言して、いとも簡単にボウラードで300点を出して見せた。
当時全盛期とも言える、かのエフレン・レイズが来日した際に、誰かの紹介か、うわさを聞いたのか、後藤氏が自ら誘ったのか、ホームだった新宿スポーツランド中央口店を訪れた。
ナインボールで対戦した後藤師は、7-3で勝利し、レイズをして「日本にも上手い人がいるんだな」と言わしめた。
ちなみに、このとき無謀にもチャレンジマッチに挑んだナベは、レイズのブレイクノーイン後に4番ボールでミスキューし、その後は出番なし・・・マスワリ連発の前にあえなく7-0で玉砕された。
これら後藤師の球を日常的に目の当たりにしてきたナベは、世界中の誰の球を見ても、心底驚くということがない。
俗に言う「バケモノ」という表現がこれほど相応しいプレイヤーも少ないと思われる。
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